先日たまたま「お買い物」というテレビドラマを見た。
脚本:前田司郎、演出:中島由貴、出演:久米明 渡辺美佐子 市川実日子など。
のどかな田舎で暮らす老夫婦(久米明と渡辺美佐子)。ある日、おじいさんに届く一通のダイレクトメール。
東京のアンティークカメラ店から見本市を知らせる案内状だ。昔好きだったカメラの事を思い出し、その催しに出かけると言い出すおじいさん。散歩もままならないおじいさんだが、近所の神社に通い続け、登れなかった階段の頂上に上がれる位に脚力を付ける。いよいよ20年ぶりに東京へ、老夫婦の珍道中が繰り広げられる。
孫娘(市川実日子)も巻き込み、2人の人生の断片が会話の端々に現れていく。
とは言っても特段これといった大事件が起きるわけでもなく、老夫婦の日常~上京~買い物が描かれていく静かな展開だ。久米明、渡辺美佐子演じる夫婦の味わいみたいな空気感は流石だが、見ていて幾度も笑わせられつつ妙に心に沁みる。何が沁みてくるのか気になっていた。
その理由は、自分がそこにいたのかもしれないと。
夫婦や家族の間では言葉の断片が交わされるが、その説明というか思いなどは一々口に上らないのが殆どだ。
言葉のうしろにある口にすることが無い思い、ある光景や出来事に対する独特な感じ方。
こういう断片が幾重にも重なって日常がある。
上京~買い物というイベントの中で、この老夫婦の間で過去の断片が顔を出していく。
老夫婦にある幾重にも重なった内にある感情の断片、内に抱えたままなかなか表には出ない、そういう日常に自分は共鳴したんだと思う。
日常の中にある口にすることが無い思い、それは深くて力があるという気がした。
ちょっと強引だが類型タイプは「小津映画」なのではないかと思う。
こういうきちんとしたもの、静かに内面を照らし出す味わい深いものがこれから増えていくような気がする。(増えて欲しい)
おじいさんのカメラじゃないけど、忘れなくてはならない理由があろうとも好きなことに心を注ぎ、楽しむ事を忘れたくないものだ。
しばしば「制作費は何故こうも開きが大きいの」「もっと安く」「この半分くらいで」と言われたりするので、停滞する経済以外の理由や時代的な対応方法を考えているこの頃です。
車や楽器、自転車やAV機器。
車なら乗り味とか独自の世界や愉しみが欲しいのか、
ギターなら音の響き方や正確な調律にこだわるのか、
自転車ならどこまでも走り続けたい高揚感やメンテという慈しみを求めるのか、
スピーカーならどんな音の再現性を聞きたいのか・・・
と自分の趣味の世界で置き換えて考えてみると、確実に言える事がありました。
それはいきなり上級の世界は要らない、です。
何かを企画したり制作する時、これまでは条件の中で一番良いと思われる方法や手段を採るようにしてきましたが、条件自体を変える必要がありそうです。
制作者が考える良いと発注者の良いの開き、これをまず大きな条件、費用面で無くさなければいけない。
先日とある改訂作業がありました。
制作した内容の一部差し替えです。
ごく簡易に差し替えをしたいとの申し出があったこともあり、上記の「良いの開きを費用面で無くす」試みをしてみました。
あるブロックを別なブロックの途中に差し込む作業です。
差し込む場所が途中なので音楽も切れ、ブロックで表現している内容が途中で切れることになります。
本来ならシナリオを再構築、ナレーションを録り音楽も敷き直し、再度整音したいところです。
しかし敢えて目をつぶり編集作業だけに留めました。結果は問題なく終了。
このケース、あまりに酷いものになるならこうしませんが、許容できるラインを下げてみました。
ちょっとゆるめも有効なのかもしれません。
但しゆるい事やちゃんとしたものがある事をきちんと伝える必要があります。
望まれているのが「ママちゃり」なのか「ロードバイク」なのか。
「ロードバイク」だけではなく「ママちゃり」も提示しながら対応していかないといけないようです。
製品を売るのとは違い、受注してからつくるので「上がり」が分かるのは完成後になる。
新たにゆるめも入れた企画設計をして、ジャストフィットする企画と制作のシステムを考えてみようと思い始めています。
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